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life's all mixed up, we have both ace and deuce (and others) in our cards. isn't that so bad, huh?
this morning i had a chance to listen to Frog Design ECD Jan Chipchase’s presentation on one of his recent projects in China. although i couldn’t understand everything, i was moved so very much.
the project is so clear and understandable to anyone and in the same time it raises contemplate-worthy questions to every each one of us. it is amazingly concidered and well-reserched in many aspects- culture, history, above all, everything was done with full of respect to the people. it was with full of interesting experiments with no bias nor any protests. not too much techs but full of idea and taste and consideration. it was totally flexible and coherent in the same time.
the project and he was so humble, so charming and has surprisingly deep and warm insight that i can cry.
http://www.janchipchase.org/fp/wp-content/uploads/presentations/JanChipchase-RedMat-Book_vFinal-HiRes.pdf
今朝、フロッグデザインのECDの方に中国でのプロジェクトの話を聞く機会があった。プロダクトの話かなーと思ってたらとんでもない、もっとスケールが大きくて感動的で、気持ちを入れて聞いたら泣けたんじゃないかと思うほどだ。しかも全部は理解できていないというのに。
プロジェクトはすごく透明で公正でわかりやすいのに、すごくそれぞれに考えさせられる深さを持っている。多方面に配慮がなされていて(中国は難しい国だ)、文化、歴史へのリサーチをしっかり行ったうえで実施されているが、なによりも人へのリスペクトを踏まえて行われていた。いろいろと面白い実験が取り込まれているけど偏見や抗議はない。むしろそういう意図を疑われないように注意深く事が運ばれた。すごい技術やとんがったことはないけど、アイディアとセンスと熟慮にあふれていた。途中でいろいろと柔軟に考えられたこともうかがえたが、同時にすべてがとても一貫していた。
プロジェクトとそれを話している彼とはとても謙虚で、チャーミングで、ものすごく懐が深かった。規模が、とかじゃないこのプロジェクトのでかさ。新しいとか大勢がとかどうでもいい。そんな次元はどうでもいい。素晴らしかった。ほんとにすごい。まじで泣ける。
つまんないこというやつがおるし、それを真に受けてしまうのもつまらんこっちゃ
観てきた。 http://pina.gaga.ne.jp/
特に批評がうまいわけでもない。備忘録。
自分には難しいことはわからない。感受性もそんな強くない。踊りも知らない。あんな型がないものどうやって作ってるんだろうと思う。
少なくともあそこにいるためにいちばん必要なのは身体能力ではなく、曝け出す勇気や立ち向かう覚悟なのだろう。それぞれのシーンはとても必死で痛々しく、きれいだった。
ヴッパタールがダンスシアターかどうかはどうでもいい。生って?人間って?果てしないその問いに向かって、ただただ身体を使って探求し、表現していく。その容赦のなさはつらく、ずっと切ない悲しみに満ちた映画だった。
稽古場での彼女は朗らかで、ニコニコしている。でも、舞台でのピナはずっと辛そうな顔をしている。ただあまりにも必死で、真摯に、剥き出し。彼女には仲間がいながらも、美や悲しみ、孤独に向き合い続けていた。彼女は老いたが、その探求にそんなものは関係なく、終わることはなかった。
同時にそこには信頼が存在していた。ダンスは信頼がないとできない。対する相手への、カンパニー全体への、そしてきっと、観客への。彼女はそれがあることとその幸福はすでにわかっていて、だからこそ未解決の題材に向けて取り組み続けたのかもしれない。
そしてまた春、夏、秋、冬、季節は巡る。隊列は続く。
己の魂を存分に躍らせてやろう、それでこそ自分が自分であるというものだ。
dance, dance, otherwise we are lost.
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哀しみと可笑しみは近いところにある。悲劇と喜劇。悲哀と滑稽。
コント=conte(仏)=ストーリー。
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なんかトーンがペドロ・アルモドバルとかぶる感じを受けるなーという気がした。エンドロールでカエタノ・ヴェローゾの名前を見つけて共通点発見、と思ったけどそもそもアルモドバルはカフェ・ミュラー使ってたんだった、完璧に忘れていた。
なぜかぶる感だったのかはわからない。色がきれいだったけど、それ?要再見。
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私は文章にうるさい。プロでも読書家でもないのだが、表現云々というよりも、てにをはやつながりが正しくない文章がまかりとおっていることが腹立たしいのだ。「名前を出して=プロとして、あるいは商業ベースに乗るものとしてこんなものが平気で出回っている」そう思えるものに出くわしてはうんざり、がっかりしている。
そんな私はこれまで、こっそりと簡単なコピーを書いたり校正の仕事をやったりもしてきたのだが、近年では後輩に頼まれて、あるサービスのコミュニケーションアドバイザーのようなものをしたりもしている。というとかっこよさげだけれども、デザイン・文章、サイト構成などのよろず相談に乗るといったところ。外部の人間として依頼されたときだけ見るのだが、よくけちょんけちょんに言うのでパートタイムの裏番長と化している気もする。いや、なりたくもないのだが。
まあこちらとすれば、勝手な親心でやっているのだ。能力を買ってくれるのはうれしいが、安易に頼られるのは本意ではない。自分でできるところはできるようになって、どんどん自由に判断がつくようになってほしい。デザインも、文章も。
しかし、意識したことがないからか普段なまじ言葉を使っているからなのか、文章を冷静に見るというのはなかなか難しい。自分はわかっていることを書くので、何が足りないか見えない。入れたいことが入っていて、それっぽい言葉が入っていて、満足してしまう。
自分もそうだった。というか、今もそうだ。でも、マシにはなってきた。そこで、自分でもできる範囲でできるだけ伝わるように添削をしてみたら、書き手本人もより納得がいくようになったようだ。
覚えてほしくて、ただ直すのではなくそのようなかたちを取ったりもしたが、なかなかすぐには身につかない。直されていると、ああなるほど、さすが、などとだけ思って、最悪の場合は「自分にはムリ」という気持ちだけが増す。それでは不本意なので、一番最近面倒を見た原稿について、細かい注釈を付け加えたものを作った。
普段表には表れてこないけれど、書き手が何に気を配ってきちんとした文章に仕立てようとしているのかに気付けるよう、出来るだけ細かくうるさく書いた。ただ、時間がなくて最後までツメたかたちに仕上げられなかった原稿なので、もっとこうすべきだったのではないかという点もここでは書いており、それもまたプロセスとしては面白いのではないかと思う。
後輩の社内で研修にでも使ってもらえるようにと作ったが、せっかくなので許可をもらってこちらにも載せることにした。良い以前に最低限気を配った文章とはどんなものか考えたことがない人、ちょっと文章を考え直してみたい人には、何かしら発見があるのではないかと願う。
私としてはむしろ、上級者にダメ出しをしていただいて、未熟さに身悶えしたいくらいである。人にいっちょまえに口出しするからには、こだわっていたいし、気を付けて精進し続けたいものだ。猛者からのツッコミ、お待ちしております。
It helps you to write good English. Both long and short, even taglines (so I’ve heard).
David Foster Wallace’s speech at Kenyon univ. in 2005. Japanese translated.